ponchannew39の日記

日々思ったことを書き留めています。人見知りでまだ社会に馴染めていません。人生の歩き方を模索中。

子供の指吸いの話

我が子は赤ちゃんのときから指を吸っている。

おしゃぶり派の赤ちゃん、吸わない派の赤ちゃんもいるようだが、うちは指吸い一筋だ。

今4歳になり、さすがに昼間は吸わない(と思っている)が、就寝中、特に夜明けになると、激しく指を吸う。

赤ちゃんの頃は、指吸いすら微笑ましく思っていたのに、大きくなるにつれて、イラッとしてしまうようになった。

特に吸引力が強いのか、チュパチュパ音を立てられると耐イライラキャパオーバーで、チュパチュパ吸っている親指をスポーン!!と引っこ抜いてしまう‥。

指吸いは本人にとっては精神安定なのだし、無理やりやめさせるのはよくないとのことなので、指吸いをできる限り見ないように、聞かないようにしようと対策している。

夜なので暗く、見ないようにするのは容易で、あとは耳栓をして聞こえないようにして寝ている。

明け方、子どもを起こすときに指を吸っていると、最後の最後でスポーン!!と引っこ抜いてしまうという台無しバージョンもよく起こる‥。

指吸い‥‥見ても聞いても平気になるとき、わたしの子育てスキルが一歩進むのだと思う。

耐えるのではなく、あぁまた吸ってる。と流せるようになれたら、今後の子どもが引き起こす親の悩み事‥‥例えば勉強面にしたって、口答えにしたって、ひとつ高い台から見られるというか‥

だからわたしは今指吸いというバロメーターを装着させられて、毎日子育てスキルを計られているのかもしれない。

子育てスキルがひとつ上がるのが先か、指吸いを卒業するのが先か‥‥。

子育てという修行は続く。

Amazonのエラー画面のこと

子どもを保育所に託して、その後の通勤時間は自由時間になる。

Amazonで欲しいものをあらかじめチェックしておいたのを、再チェックすることがよくあるのだが、地下鉄の一部区間でいつも電波が悪くなる。

するとなかなか検索に行きつかず、結局エラー画面が出る。

でもこのエラー画面が、困った犬の写真で、わたしも困ってるんです‥という感じで、癒されるので嫌いじゃない。

耳鼻科の日

今日は娘とわたしの耳鼻科通院の日だ。

ふたりとも蓄膿症で、娘はたまに中耳炎にもなる。

薬がなくなるタイミングで通院している。

保育所の帰りなので、帰宅が遅くなる。

そういう日は大概簡単な晩ごはんメニューで、お風呂今日は飛ばそうか?となる。

お風呂飛ばしは時期的に最後のチャンスかな。

簡単な晩ごはんでうちで代表的なのがカレーで、娘も大好きなので喜ぶ。

今日はごはんを炊いていない関係で、簡単な晩ごはんメニューNo.2の焼きビーフンの予定だ。

お米からできているし、野菜もおいしく食べられて、わたしは大好きだ。

娘の反応はいかに‥。

室内ポスト

うちには室内ポストがある。

子どもがお絵かきやお手紙を描くと、ママへ、とポストに入れてくれる。

次の日の早朝、まだ子どもが寝ている間にコーヒーを飲みながら中の作品を見るのが楽しみだ。

ひととおり楽しむと、日付スタンプを押して作品を片付ける。

ポストに何も入っていないと、アレ?と少し寂しい。

人生の醍醐味

田原総一郎田原節子の、私たちの愛という本を読んだ。生きることの楽しみ、生きる醍醐味はひとを愛することだなと思った。そして、最終的に結婚して、幸せな人生だと思った。

NHKこころの時代で、医師の垣添忠生さんの奥様と歩んだ人生を知ったが、こんなに愛するひとと結婚生活をおくれるなんて、素晴らしい人生だと思った。

ひとりで生きられて初めて誰かと生きられるというが、人生で一番素敵なことは、愛するひとと過ごすことだと思う。

大好きなら、どんな困難にも立ち向かえる。

結婚は生活だというが、わたしは結婚は愛だと思う。

魚をどうにか食べさせたい話

わたしは子どもに魚を食べさせたい。

魚がメインのおかずの食事以外でも、オムレツにしらすをこっそり入れたり、うどんの具にちくわを入れたり、ご飯にお魚からできているふりかけ風のものをかけたり‥

とにかく肉よりも魚を、魚からできたものを食べさせたいのだ。

 

コープでいつものようにカタログをみていたら、おさかなパラパラミンチという商品を発見した。冷凍で、魚の身がお肉のミンチのようになってパラパラに凍っているとのことだ。

これは何かと使えそうだと早速購入。

こっそり魚を入れられる機会が増えそうで楽しみだ。

おばあちゃんじゃない話

わたしは小学生、中学生、高校生とずっと、幼く見える、おぼこいと言われ続けていた。でもなんとなく成人してから実年齢に追いつき、子どもを産んでから、誰かに言われた訳ではないが、自分は老けた。老けている。と思うようになった。

子どもと公園に出かけても、ママと認識されているだろうか、おばあちゃんと思われていないだろうか‥話しかけられて、おばあちゃんの体で話が進んで、気まずくならないだろうか‥先にわたしはこの子の母親であるということを気づくようなことを言った方が良いだろうか‥と色々と考えてしまう。

友人や知り合いに言ってみたこともあるが、おばあちゃんには見えんやろと言われるが、確かに老けてるからおばあちゃんに見えるかもね、なんて言わないだろうと思って、不安は晴れない。